障害者が不利益をこうむらない社会を!

 

 今年(2015)2月24日、政府は障害者差別解消法(以下、「差別解消法」)にもとづく「基本方針」を閣議決定しました。2006年に国連で採択された「障害者の権利条約」(以下、「権利条約」)をわが国でも批准するための国内法整備の一環として、「差別解消法」が2013年6月に立法化されましたが、そこでは障害者の差別解消のための大枠を示すにとどまっていました。今回の「基本方針」は、それをより具体化するものと言えるでしょう。

 しかし、「権利条約」が、昨年(2014)2月にわが国で発効しているにもかかわらず、そこに示された障害児・者の権利を、本当の意味でわが国に根付かせようというものにはなっていません。どういうことか。

 

 

       障害者の権利条約とは

 

 まず、今回の「基本方針」の大本にあたる「権利条約」から見てみましょう。(以下、問題の性質上、引用が多くなることをあらかじめご了承ください。)

 「全ての障害者によるあらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保護し、及び確保すること並びに障害者の固有の尊厳の尊重を促進することを目的とする」(第1条目的)

 障害者のあらゆる人権や基本的自由を完全に保障し、固有の尊厳の尊重を促進する社会の実現を目指すということに他なりません。

 そのうえで障害にもとづく差別とは、「障害に基づくあらゆる区別、排除又は制限」であって、「あらゆる分野において、他のものとの平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使することを害し、又は妨げる目的又は効果を有するものをいう。障害に基づく差別には、あらゆる形態の薙別(合到的配慮の否定を含む)を含む」(第2条定義、傍線は引用者、以下同じ)としています。

 あらゆる分野でのあらゆる形態の差別が禁止されているのです。

 そして「合理的配慮」については次のように定義しています。

 「障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適度な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう」(第2条定義)

 つまり、「合理的配慮」は、障害者のあらゆる人権と基本的自由を保障し、固有の尊厳の尊重を促進する社会を実現するうえで「必要かつ適度な変更及び調整」だというのです。

 こうした考え方は、旧来、障害にもとづく障壁によって、障害者が不利益をこうむってきた現実に、社会・公共の側が無自覚であったという反省から紡ぎだされてきたものといえます。それが実現しているかといえばまだまだとはいえ、近年バリアフリーやユニバーサルデザインということがいわれていますが、これもまた、こうした考え方のひとつの表れといえるでしょう。

 

 さまざまな場面で支援を必要としている人には、障害あるゆえにこうむる社会的障壁を軽減、緩和、克服するうえで、必要な配慮を提供する義務が社会・公共の側にあるということに他なりません。つまり、「合理的配慮」 の提供を受けることは障害者の権利といえるのです。そして、「合理的配慮」を否定することそれ自体、差別とされていることは先に見たとおりです。

 

 

       誰のための「基本方針」か

 

 冒頭に見たとおり、「権利条約」を批准するための国内法整備として、障害者差別解消法は、2013年6月に制定されました。そこでは、障害を理由として「不当な差別的取扱いをしてはならない」、「社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をしなければならない」として、公共機関にはそれらを順守する義務を課し、民間企業については努力義務としていました。しかし、「不当な差別的取扱い」や「合理的配慮」の内容に言及することなく、それらの定義や運用については、政府が決める「基本方針」に委ねていたのです。

 では、今年2月に閣議決定された「基本方針」では、それらはどのように扱われているのでしょう。

  「不当な差別的取扱い」については一方、「障害者の事実上の平等を促進し、または達成するために必要な特別の措置は、不当な差別的取り扱いではない」との当然の指摘をしているのですが、他方「不当な差別的取扱いとは、正当な理由なく、障害者を、問題となる事務・事業について本質的に関係する諸事情が同じ障害者でない者より不利に扱うことである点に留意する必要がある」としています。

 そして「正当な理由」については、次のように説明しているのです。

 「行政機関等及び事業者においては、正当な理由に相当するか否かについて」「具体的な場面や状況に応じて総合的・客観的に判断することが必要である。行政機関及び事業者は、正当な理由があると判断した場合に は、障害者にその理由を説明するものとし、理解を得るよう努めることが望ましい。」

 「権利条約」では、あらゆる分野でのあらゆる形態の差別を禁止しています。「行政機関や事業者」の側が、「不当な差別的取扱い」であるかどうかを一方的に判断するなど、許されるものではありません。

 また、「合理的配慮」については、「障害者の権利利益を侵害することとならないよう、障害者が個々の場面において必要としている社会的障壁を除去するための必要かつ合理的な取り組みであり、その実施に伴う負担が過重でないものである」として、「権利条約」を一応は踏襲しているものの、「合理的配慮は、行政機関及び事業者の事務・事業の目的・内容・機能に照らし、必要とされる範囲で本来の業務に付随するものに限られること、障害者でない者との比較において同等の機会の提供を受けるためのものであること、事務・事業の目的・内容・機能の本質的な変更には及ばないことに留意する必要がある」としているのです。こうしてみると、なんだか障害者のための「合理的配慮」というより、行政機関や事業者のための配慮のように思えてきます。

 「権利条約」でも「合理的配慮」については「過重な負担」を課さないものとされていましたが、ここでは次のように言われています。すなわち、「過重な負担については、行政機関等及び事業者において、個別の事案ごとに、以下の要素等を考慮し、具体的場面や状況に応じて総合的・客観的に判断することが必要である。行政機関等及び事業者は、過重な負担にあたると判断した場合は、障害者にその理由を説明するものとし、理解を得るよう努めることが望ましい」というのです。

 ここでも主語は「行政機関及び事業者」であって、障害者ではありません。しかも、「合理的配慮」を提供するにあたって、それが「過重な負担」にあたるかどうかを判断するのは「行政機関や事業者」だとしているのです。

 しかし、「合理的配慮」を受けることが障害者の権利である以上、「過重な負担」であるかどうかを、「行政や事業者」の側が一方的に判断するなど、あってはなりません。その判断は、第一に権利行使主体者に委ねられるべきものだからです。

 こう見てくると、今回の「基本方針」は、「権利条約」に示された障害者の権利を、わが国において十分に根付かせるものになっていないのは明らかでしょう。これに抗して、今後とも論議を巻き起こすとともに、こうした方向に反対する国民的な運動へと発展させることこそがいま求められているのです。


 3月6日  

                    宮永 潔