障害児の学校選択に「第三者機関」はいらない


 本年5月28日、民主党インクルーシブ教育を推進する議員連盟(会長中野寛成、以下「民主党議連」とする)は、就学手続きを定めた学校教育法施行令の一部改訂案を文科大臣(平野博文)に提出した。これは、政府が障害者の権利条約(2006年、国連総会で採択、翌2007年、日本政府が署各を批准する前に、与党民主党の側でインクルーシブ教育への転換に向けて可能な法整備を行なおうとの意図によるものらしい。

 その検討にはいる前に、法の運用の仕組みについて簡単に述べておきたい。法とは一般に権利行使の枠組みを定めたものといえる。しかし、この建前が人びとの実際の生活に降りていくには、まず内閣が政令を出し、さらに所管省庁が省令をだすという形で具体化される。たとえば、教育法制は憲法26条「教育を受ける権利」条項を法源とし、学校教育法でそれが具体化されている。次に内閣が政令である学校教育法施行令を出し、「学齢簿の編製」や「入学期日の通知」などの就学手続き等を定めている。さらに、文科省の省令である学校教育法施行規則によって、その細部が仕上げられているのである。ところが、実際には、もっと下の、下の、下の、いわば行政慣習を文書化した行政内部の 「局長通達」等で細かく決められているのが実情だ。

 

 改訂案の主なポイント


 さっそく今回の就学手続きの改訂案の主なポイントをみてみよう。それは下記の4点。 第1は、第5条「入学期日の通知、学校の指定」についての改訂 −− 障害の有無に関係なく全ての就学予定者に小中学校の就学通知を出すように変更すること。

 第2は、第11条「特別支援学校への就学についての通知」 にかんする改訂 −− 特別支援学校に就学するのは、保護者が申請した場合と、市町村教育委員会が、特別支援学校に就学しないと十分な教育を保障し得ないと判断した場合とあらためること。

 第3は、第18条の2「認定就学者」条項の改訂 −− ここを、特別支援学校への就学通知を出すさいの事項を定めたものに変更し、その通知をだすにあたって、保護者の意向を最大限尊重するとともに、保護者の意向と教育委員会の意見ガ一致しない場合の「第三者機関」による調整を明記すること。

 第4は、第22条の3の「表」の名前を「視覚障害者等の障害の程度」から、「視覚障害者等の障害の基準」 にあらためること。

 なお、民主党議連が作成した改訂案の図表を次ページに掲載したので、それを参照しながら以下をお読みいただきたい。

 

 


 さて、読者の皆さんのなかには、改訂点のポイントの第2と第3のゴシック部分をお読みになつて、「これでは、むしろ改悪ではないか」と思われた方もいるにちがいない。端的にいって、これらは、現行の施行令を改悪するもの以外でない。「第三者機関」の設置などは、親(本来的には本人) の学校選択権の法理を拒殺するに等しいものなのだ。

 

 親(本来的には本人)の学校選択権

 

 そこで繰り返しになるが、改めて親(本来的には本人) の学校選択権の法理について簡単にふれておきたい。私たちは、この法理を盾に、この間、障害児の学区校就学のたたかいを繰り広げてきている。

 権利とはどういう規範(約束ごと)か。権利と義務の二つは近代社会においてワンセットの規範をなす。義務がその履行を義務的に果たさせられるのにたいして、権利は行使するもしないも、また、これをどういう形で行使するかもふくめて権利主体の選択にゆだねられている。つまり、権利とは選択的なのである。

 はじめに、義務について考えてみると、いま、商品を買い求めると定価の5パーセントが消費税として徴収される仕組みになっている。つまり、消費税に反対の立場か否かは別として、それを支払わないことには商品を売ってはもらえないのである。このように、義務とは、その義務履行が義務的に人びとに突きつけられているといえる。

 これにたいし、「権利」は選択的なのだ。たとえば、憲法15条の「選挙権」 について考えてみよう。棄権を選択しても、あるいは、どの政党の、どの候補者に投票しようとも、その選択を理由に罰せられることはない。

 「教育を受ける権利」についても全く同じことがいえる。教育を受ける、受けないも、また、どういう教育機関(就学先)を選択するかについても、本人の選択にゆだねられているのである。こころみに手元にある小六法をひらいて、学校教育法72条をみていただきたい。ここには、特別支援学校の目的以外明記されておらず、「盲児は盲学校へ、ろう児はろう学校へ」などと、就学するべき学校が義務付けられてはいないのである。

 それなら、「義務教育」の「義務」とはどういうことか。「教育を受ける権利」を具体的に保障していくために、第一に、親の側に「就学させる義務」が、そして第二に、行政の側に 「学校設置義務」が課せられているということである。とくに親の 「就学させる義務」についていうなら、この「義務」は、子どもが学齢に達したら、親がその状態を総合的に判断して、子どもに代わって教育機関を選択するということに他ならない。つまり、親こそ子どもの権利代行者なのである。

 

 教委に就学先を決定する権限はない

 

 以上のことを念頭におきながら、さっそくさきほど指摘した改訂点の検討に移りたい。

 まずはじめは、第11条「特別支援学校への就学についての通知」 にかんする改訂から検討しよう。現行では、ここには、市町村教委にたいし、学齢に達した 「視覚障害等」 の障害のある児童の 「氏名および特別支援学校に就学させるべき旨」を都道府県教委に通知することが義務付けられている。

 今回の改定案は、ここを 「保護者が申請した場合と、市町村教育妻具会ガ、特別支援学校に就学しないと十分な教育を保障し得ないと判断した場合」とに限定しようというのである。しかし、上のゴシックにした部分は、改悪以外でない。それはなぜか。

 さきほども述べたように、行政の主たる仕事は、学校設置義務(学校教育法38条)に定められていること以外でないといえる。すなわち、行政には、地域の子どもたち一人ひとりの教育を受ける権利を満足させるために、人的、物的教育資源を整えることが義務付けているのである。そのために教委の役人たちは、税金で雇われているのだ。つまり、行政は、納税者である市民との関係でいえばパブリックサーバント(公僕)なのである。

 何をもって「十分な教育」とするかについては評価の基準があいまいなので、法律用語としては適切とはいえない。そもそも、子どもの学ぶ権利を満足させる教育が行なわれているかどうかを判断する主体は、行政だろうか。いや、それは権利代行者たる親(本来的には本人)以外でないのである。このことは、さきほど述べた親(本来的には本人)の学校選択権の法理から必然的に導かれる論理だといえる。たとえば、床屋さんに行って髪を切つてもらうとしよう。ほどよい髪型になったかどうかを判断するのは、床屋さんではなく、代価を支払った客以外でないのは明らかだ。

 もしそんな判断を行政にゆだねたら、「地域の学校では十分な教育は保障できないから」という理由で、学区校に通う障害児の多くが排除されかねない。

 

 権利行使に第三者機関はいらない

 

 次に、第18条の2の「認定就学者」条項を特別支援学校への就学通知をだす事項を定めたものに変更し、そのさい、「保護者の意向を最大限尊重するとともに、保護者の意向と教育委員会の意見が一致しない場合の『第三者機関』による調整を明記する」点、とりわけゴシックにした部分についての検討に移ろう。

 現行では、市町村教委が、「認定就学者」についての 「通知をしようとする時は、その保護者及び教育学、医学、心理学その他の障害のある児童生徒等の就学に関する専門的知識を有する者の意見を聴くものとする」と定められている。

 「認定就学者」などは、障害児の間に差別をもちこむ以外でないことから、同条項を取り払うことについては、私たちとしても異存はない。しかし、「第三者機関」なるものの設置については、断然容認することができない。 そもそも、「保護者の意向」と「教育委員会の意見」が同列に並べられていることじたいがおかしいのだ。教育を受けることが権利である以上、保護者の学校選択について、行政が干渉がましいことをいうことじたいがナンセンスだといえる。

 勿論、就学先の選択に困っている親御さんにたいして、教委が「就学相談」 の窓口をひらくことまでを否定しているのではない。しかし、「就学指導」と称して、行政が、親御さんの学区校就学への意志表示についてなんだかんだと横槍を入れるのは、権利行使にたいする干渉・妨害行為以外でないのである。 しかも、「第三者機関」なるものによる調整など滑稽ですらある。権利とは個人に専属するものであつて、第三者がその権利行使に干渉することは許されないのだ。

 最近、夫婦共働きが多くなり、特別支援学校を選ぶ親御さんも増えてきているらしい。しかし、「地域の学校を選ばないのはおかしい」などと非難する権利は誰にもない。ましてやその親御さんを「差別者」よばわりなどするのは、もっての他である。私たちは「分離こそ差別だ」と考える。とはいえ、現実には公的な教育機関として特別支援学校がある以上、ここへの就学は親(本来的には本人)の権利であり、その行使はだれにも妨げられない。

 学区校就学を要望する親にたいして、「それは親の見栄だ」などと椰掬する教委の役人もいると聞く。役人としての資質を疑わざるを得ない言動だといえる。しかも、個人としてもまことに浅薄な了見以外でない。権利はそれを行使した結果もふくめて、権利主体の側が引き受けるのである。選択とは取り返しのつかない、なかなか重い行為なのだ。いったい、第三者がその責任を分有できるだろうか。 さらに、学校教育法施行令22条の3の「表」についてひと言だけ述べておきたい。この「表」は、特別支援学校が対象とする児童、生徒の障害の種類と程度を一般的に示したものにすぎない。そこに示される障害の程度に当てはまる児童・生徒は、かならず特別支援学校に就学しなければならないという定めではないのである。

 産湯とともに赤子(権利思想)を流す愚だけはおかしてはならない。(2012・7・7)