障害を持つ子の親は学校に付き添わなければならないのか

  

 さまざまな場面での介助や支援など、学校生活を送るうえで必要な配慮=「合理的配慮」を受けることは障害児の権利とした国連「障害者の権利条約」が、わが国で批准・発効して早2年。今年4月には、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(障害者差別解消法)も施行されました。

 にもかかわらず、校外学習への参加やプールに入るには親の付き添いが必要と学校側から言われたという相談が、全国各地から「実現する会」事務局にも相次いでいます。

 なかには「障害児のための『合理的配慮』として、特別支援学級や特別支援学校が用意されている」と言い放った区教委もあるというのです。障害児は特別支援学級・学校へ行けと言わんばかりです。

 ここに紹介するのは、中学校入学早々に学校側から付き添いを求められ、それから1年間、始業から終業まで毎日付き添ってきた親御さんが、いまに至るも学校・行政側による自主的問題解決が見通せないとして、改善を求めて市教委に提出された要望書(内容証明郵便)です。同じような悩みを共有される方も多いのではないでしょうか。そうしたみなさんの参考になれぱと思います。

 なお、文中の見出しは、市教委への提出文書にはなく、編集部で付けたものであることをお断りしておきます。  

 編集部 

 

 

    要望書

 

 

 息子礼史(二千三年一月二十五日生、自閉症・遅滞)は、現在さいたま市立田島中学校の第二学年(特別支援学級)に在籍しています。

 小学校に通っている時は、親が付き添うことはなかったのですが、中学校に進学して四日目に学校側からお話があり、支援員やスクールアシスタントが不足しているため、両親のうちどちらかが学校でお子さんを見てくださいと言われました。私どもとしては、こうしたあり方に疑問をいだきながらも、以後、今日に至るまで父親が登校時から下校時まで付き添ってきました。昨年一時期、スクールアシスタントが配置されましたが、そのことで父親の付き添いが軽減されることもなかったのです。そして、一年を過ぎたいまに至るも、このような事態について、学校側による改善が見られません。

 学校生活における息子の障害に応じた必要な配慮や援助は、行政もしくは学校側の責任においてなされるべきであり、親に付き添う義務などないことは言うまでもないでしょう。

 私ども保護者は、地域の学校で多くの子どもだちと交わることをとおして、人とのかかわり方を実践的に身につけさせたいと考えていまず。したがって、今後とも田島中学校(特別支援学級)に礼史を通学させることで親の「就学させる義務」(学校教育法一七条)を果たす所存です。

 貴職におかれては、息子の学ぶ権利を満足させるために、学校教育法三八条の学校堆設置義務条項に則って、速やかに必要な学習環境の整備を行なうよう求めます。

 また、本年六月以降、介助・付き添いを一切行なわない所存であることもあわせてお伝えします。

 

 

 学校側の役割を父親が

 

 現在息子の登校については、生活サポートの方にお願いし、それが出来ないときは父親が自転車に乗せて学校に連れていきます。そして下校の時は行動援護の制度を利用して支援の方が散歩をしたり、あちこちを見学したりしながら連れ帰ってくれています。しかし、先述したように、学校に着いてから帰るまでのおよそ八時間ほどは、父親が息子に付き添っているのです。学校側から付き添うように求められたからです。確かに息子はこだわりが強く、例えばファスナーが気になると、歯で引きちぎったりすることがあります。また、食事の一部介助、トイレ介助が必要です。時には大きな声を出し、多動な面も見られます。これまで学校側から父親が求められてきたことは、授業中も息子の隣に座り、そうした行動が見られたときにそれを制止することと食事やトイレの介助、さらには休み時間など息子のそばについていることです。授業中に大きな声を出したときは、隣の教室に連れていく。また体育館での朝会の時、そうしたときは外へ連れ出すのです。

 しかし考えてみれば、これらのことはいずれも学校教育の一環として行われるべきものであり、むしろ、学校側にこそ求められている役割といえるでしょう。

 また、父親が一日中付き添わねばならないことで、こんなことも起きてきます。

 今年五月七日の公開授業に際して、当日、父親が医療機関を予約しており、付き添えないことを学校側に告げると、人が回せないから、予約を他の日に変更するか息子が利用している行動援護を申請して、朝から来てもらうようにと言われました。

 医療機関に変更を打診しましたが、この日を逃すとだいぶ先になってしまうことが分かり、やむなく授業途中で息子を下校させるしかありませんでした。こんなことで息子の学ぶ権利が保障されるのかと、心もとなくなってしまいます。また、学校の都合に家庭生活を従属させることにもなりかねません。

 

 どのような障害があっても

  地域校に就学する権利があります

 

 申すまでもなく日本国憲法二六条に謳われている「教育を受ける権利」は、国民固有の権利です。権利と義務は近代社会においてはワンセットの規範ですが、両者はただ一点において異なっています。すなわち、それは、義務がその履行を義務的に果たさせられるのに対し、権利は行使するもしないも、またこれをどういう形で行使するかも含めて権利主体の選択に委ねられているということです。つまり、権利とは選択的なのです。これは、「教育を受ける権利」についても同様で、どのような教育機関に就学するかは権利行使主体者の選択に任されているのです。

 このことは、学校教育法七二条を見れば明らかといえます。そこには、「特別支援学校は、視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。以下同じ)に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目標とする」として、「特別支援学校の目的」が書かれているにすぎません。障害児は必ず特別支援学校に就学しなければならないなどというふうに、就学するべき学校を義務づけてはいないのです。

 また、この「教育を受ける権利」を具体的に保障していくために、第一に保護者の側に「就学させる義務」が、第二に、行政に、学校設置義務(学校教育法三八条)が課せられています。後者の学校設置義務とは、その地域の子どもたち一人ひとりの学ぶ権利を満足させるための人的、物的教育資源を整えることを意味します。したがって、子どもたちひとりひとりについての必要な配慮や支援は、行政側の責任においてなされるべきなのです。

 

「合理的配慮」の提供を受けることは

          障害者の権利です 

 ご承知のようにわが国は、一九九四年、国際条約である「児童の権利に関する条約」を批准しました。申すまでもなく、この条約は子どもを「単なる保護の対象から権利の主体へ」と根本的な発想の転換を図ったものです。

 この条約は、十八歳未満の障害児の権利について、こう述べています。すべての障害児は、「可能なかぎり全面的な社会的統合、ならびに、文化的および精神的発達を含む個人の発達を達成することに貢献する仕方」で教育援助を求めることができるとしています。つまり同条約は、教育的「統合」と個人の発達とを調和的に達成する教育を求める権利を全ての障害児に保障しているのです。

 二〇一四年、国連「障害者の権利に関する条約」がわが国でも批准されました。この条約では、「障害に基づくいかなる差別もなしに、全ての障害者のあらゆる人権及び基本的自由を完全に実現することを確保し、及び促進することを約束する」(第四条)と謳われています。それにともなって社会・公共の側の「合理的配慮」が不可欠とされているのです。

 この「合理的配慮」とは、さまざまな場面で支援を求める人には、障害があるためにこうむる社会的障壁を克服するうえで必要な配慮を、社会・公共の側が提供する義務があるという意味に他なりません。

 また、同条約では、あらゆる形態の「障害に基づく差別」を禁じていますが、右に述べた「合理的配慮」を提供しなかった場合もまた差別としていることが考慮されなければなりません。当然ながら、教育においても、この「合理的配慮」は提供されるべきとされています(第二十四条)。

 つまり、その「合理的配慮」を受けることは、障害者にとって権利といえるのです。

 なお日本国憲法は、地方自治体をふくむ行政諸機関にたいし、国際条約や国際法規を「誠実に遵守することを必要とする」(九十八条)と定めています。つまり、「児童の権利に関する条約」も「障害者の権利に関する条約」もともに、国内法として受容されているのであり、他の法律よりも優先される性質のものなのです。また、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」が、今年四月に施行されたことにも十分ご留意願いたく存じます。

 

 

 付記 

 本要望書は、私どももその会員である「障害者の教育権を実現する会」全国事務局(埼玉県さいたま市浦和区常盤九の十の一三 ライオンズマンション浦和常盤二〇四)と相談のもとに文書化されたものであり、全面的な支援をいただいているものです。 また、本文書は必要に応じて公開されることを申し添えます。

 二〇一六年五月二十一目

             (住所略) 

                                 白石 里史

さいたま市浦和区常盤六丁目四の四

さいたま市教育委員会

教育長 稲葉康久様