沖縄・辺野古に新基地はいらない

命がけの抗議は続く「海は命の母」「STOP埋め立て」


 昨年(2014)11月の沖縄県知事選、そして年末の衆議院選挙の勝利をもって、名護市辺野古崎に新たな米軍基地はつくらせないとの「オール沖縄」の意思は明確に示された。
 しかし、それに挑戦するかのように、今年 (2015)、「日米防衛協力のための指針」 (ガイドライン)が日米両政府によって発表された翌4月28日、安倍首相はオバマ米大統領との会談で、沖縄の米軍普天間基地の移設問題について、「辺野古移設を唯一の解決策とする立場はゆるぎない」と語った。
 63年前(1952)のこの日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本の主権回復と同時に沖縄がアメリカの施政権下におかれ、以来、沖縄の人々にとって4月28日は「屈辱の日」として記憶されている。よりによってその日に、このような発言をする安倍首相。そこに自国民の声よりも日米同盟の方が大切との思惑が、はっきりと見てとれるのは言うまでもない。あらためて「琉球処分」の言葉がよみがえってくる。

 

 

 

  瀬嵩(せだか)の浜から
    米軍キャンプ・シユワブヘ

 

 こうした事態を前に、5月15、16日の2日間にわたって行われた「ヒースアクション2015・5・15平和行進」とそれに連動して5月17日に開催された沖縄県民大会(那覇市)に埼玉県代表団の一員として参加した。
 行進の1日目は、名護市瀬嵩の浜からはじまる。1200人が参加。出発式のためのステージの後ろにコバルトブルーの静かに波うつ海。それが沖に向かうにつれて濃い青に変わっていく。その大浦湾をはさんで対岸には米軍キャンプ・シユワブ。この海域に新基地をつくるというのだ。
 海上に長くつながれて臨時制限水域を画するオレンジ色のフロート(浮き具)が見える。その手前に、普天間基地の辺野古崎への移設に抗議するカヌーや抗議船。そしてその向こう側には、カヌーや抗議船を警戒して海上保安庁の警備艇が抗議の人々をうかがうかのようにフロートに近づいては遠ざかる。
 昨年8月、移設のための海上作業がはじまり、以来、抗議活動がつづく。その行動にたいする海上保安庁の過剰警備に批判の声が上がっている。地元の報道によれば、抗議する市民のカヌーにゴムボートを接触させたり、命がけの抗議はつづく「海は命の母」「STOP埋め立て」海上保安官が飛び乗って転覆させて拘束。しかも波が高く、岸にもどるのが困難な外洋まで連れて行ってそこにカヌー隊を置き去りにしたという。「一歩間違えば遭難」という声も上がる。(2015・2・3)
 また、3月10日には市民の乗ったゴムボートに、重量5トンの特殊警備救難艇「あるたいる」が追突している。4月28日にも、抗議船に保安官が乗り移って転覆させ、市民1人が緊急搬送されたという。ここではいまも命がけの抗議がつづいているのだ。
 沖縄では例年この時期は梅雨の季節なのに、連日気温30度を超える猛暑日がつづいている。強い日差しのなか、およそ6・6キロメ−トルの道のりをシュプレヒコールを繰り返しながら歩いてキャンプ・シュワブのゲート前に到着。キャンプと道路をはさんで反対側にたくさんの監視テントとともに「新基地断念まで座り込み313日目」の看板が見える。ここで給水の歓迎を受けながら、少しおそい昼食とともに「埋め立て阻止!座り込み行動、5・15平和とくらしを守る辺野古現地全国集会」となった。

 

 

  米軍普天間基地を半周して

 

 2日目は宜野湾市役所から2コースに分かれて、普天間基地を両側から取り囲むように行進し、平和行進集約集会が行われる宜野湾海浜公園野外劇場を目指す。埼玉県代表団は南ウイング、8・2キロメートルのコース。前日の行進ですでに両足裏の親指の付け根に水泡ができている身としては気が重かったが。 「例年は1日20キロメートル歩いているんです。今年は短いんですよ」と、笑顔で語る代表団事務局長の金子さん。
 行進の途中、沖縄国際大学にさしかかり、ここがあの米軍ヘリ墜落の現場かとの思いがわいてくる。
 2004年8月13日、「世界一危険な基地」とアメリカ筋も認めた普天間基地から飛び立った大型輸送ヘリコプターが、この大学構内に墜落し、爆発炎上した。ひとつ間違えば、とんだ大惨事にもなるところだったが、人命にかかわることがなかったのは幸いといえよう。
 しかし、事故直後、約100人の米兵が、隣接する普天間基地のフェンスを乗り越え、事故現場の大学になだれ込み、現場を封鎖している。大学管理者の管理権を制限し、沖縄県警の現場検証を拒み、消防本部の検証活動も制限した。さらには、メディアの取材活動すら制限しようとしたのである。
 しかも、学内の立木を伐採し、こぼれたオイルや物質のしみ込んだ土壌、事故機の残骸など一切合財を単独で撤去・回収していた。それは軍事占領そのものに他ならなかった。本土復帰したはずの沖縄に、日本の主権は及んでいると言えるのだろうか。
 そんなことを考えながらようやく宜野湾海浜公園の入り口、歓海門へ。そしてそこから野外劇場へとようやく2日間歩きとおすことができた。

  

 

  会場総立ちの共感の拍手が

 県民大会に参加するため5月17日昼前に「ゆいレール」(モノレール)の県庁前駅に着くと、やってきた車両は会場に向かう人で満員。そこに体をねじ込むようにして乗りこむ。会場の沖縄セルラースタジアム那覇(野球場)へは、奥武山公園駅で下車。
 プレイベントが開かれている会場の観覧席はすでに埋め尽くされていた。埼玉県代表団はグランドほぼ中央に。この会場で、本紙に「沖縄からの便り」を執筆いただいている幸地一さんに会うこともできた。ご両親とともに参加しているとのこと。主催者発表によれば参加者は3万5千人。入りきれない人々が会場フェンスの外側に数多く見られた。
 「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設! 沖縄県民大会」は、普天間高校1年生の宮城りなさんのさわやかな司会で始まった。平良朝敬・島ぐるみ会議共同代表や稲嶺進名護市長など県民大会共同代表のあいさつがあり、安治富(あじとみ)浩ヘリ基地反対協議会代表やジャーナリストの鳥越俊太郎さんなどの報告、メッセージの後、翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事が登壇。
 翁長知事は、「県の有するあらゆる手法を用いて辺野古に新基地はつくらせない」と決意を表明。そして、沖縄は自ら基地を提供したことは一度もない。普天間飛行場もそれ以外の基地も、戦後、県民が収容所に収容されている間に接収され、また居住所等をはじめ、強制接収されて、基地建設がなされたことをあげ、自ら上地を奪っておきながら、「普天間飛行場が老朽化したから」「世界一危険だから」「辺野古が唯一の解決策だ」「沖縄が負担しろ、嫌なら沖縄が代替案を出せ」という日米両政府を痛烈に批判した。そのうえで知事が「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をないがしろにしてはいけない)」と締めくくると、会場総立ちの長い共感の拍手が送られた(関連記事4面)。
 これこそ日米同盟は大切といいながら、その負担を一方的に沖縄に押し付けてきた日本政府ならびに沖縄のことは沖縄にまかせておけばいいという、本土日本人の側の「沖縄ないがしろ意識」(中野重治)に突きつけられた痛切なメッセージに他ならない。辺野古新基地は許さないとの意志を真剣に受けとめ、「オール沖縄」を超えて「オールジャパン」への運動こそがいま求められているのだ。
         

   2015・6・6