政令一部「改正」は権利 としての障害児教育を否定するものだ

 

 

 股関節骨折で入院、そして手術

  

 昨年の8月末、札幌の姉から電話。「母が股関節を骨折して、手術をすることになった」 という。

 母は北海道東部の美幌町(人口2万千人ほど)に一人で住んでいる(87歳)。高齢者のための大学などにも参加したり、俳句や写真、絵画のサークルなどにも参加したりしていた。その日は、知床に出かけて、ホテルでの朝食後にコーヒーを飲もうと取りに行ったときに転んで骨折したという。本人はたいしたことはないと思っていたようで、ホテルの人に車で美幌まで送ってもらった。

 美幌町立国民健康保険病院で診察してもらい「緊急に手術が必要であり、この病院ではそれができない。隣町の北見市か網走市の病院どちらかを選びなさい」といわれた。

 そこで、母は自分も行ったことがある北見市(美幌から30キロほど)の病院をえらび、救急車で搬送してもらい、その日のうちに手術をすることになった。幸い同じ町に姪がいたので連絡してもらい、札幌の姉のところに連絡があり、そこからわたしのところに知らせてきたのである。私は埼玉、妹は東京に住んでいる。すぐには駆け付けることはできない。姉は札幌から車で美幌まで駆け付けることにした。最低でも5時間ぐらいはかかる。

 母は姪に付き添ってもらい、北見の病院で手術をし、入院したのだった。

 姉はその日の夜には着いたが、わたしの妻と妹は次の日の飛行機で美幌にむかうことになった。私は日程の都合がつかなかったので、後日出かけることにした。

 

 母の通院、車社会を実感

 

 母が北見の病院に入院したので、姉たちは美幌から北見まで通うことになった。姉の車があるときはそれほど苦でもなかった。姉が札幌に帰り、妻と妹の二人が母につきそうようになると電車かバスを利用することになった。電車やバスも昔に比べると本数がへって、待ち時間が多くなったようである。北見に通うのも往復で2時間ほどかかってしまう。この地方は生活の必要上、どの家でも車が2台以上のところが多い。車がないと毎日そこに通うのはたいへんだ。

 わたしも9月に入ってすぐに北海道にでかけた、そのときはレンタカーで病院にいくことにした。そんなこともあり、可能なら美幌の病院に転院したいと申し出た。その結果、半月ほどたったら可能というので、最初に診察してもらった美幌の病院に転院することになった。

 そのときも、私がレンタカーで移動した。

 

 医療ソーシャルワーカーって

 

 前の病院でもリハビリははじまっていたが、新しい病院にもリハビリ室があり、一日一回のリハビリがあった。移動は車いすを使っていた。最初は押してもらっての移動。わたしも病院に行ったときはそのようすをみせてもらったりした。マッサージをしてもらってから平行棒での歩行訓練などをしていた。手すりにつかまって歩いたりしてもいた。そして、ステッキを使っての歩行の訓練とすすんだ。

 また、骨折したところの健診には、月に一回北見までいかなければならなかった。

 私たちの話題は、退院後をどうするかということにうつってきた。その病院には医療ソーシャルワーカーがいたのでそこで相談した。

 ソーシャルワーカーとは福祉事務所などにもいるようだが、主に社会福祉事業等に従事し、社会的に支援を必要とする人々とその環境に働きかけを行うとともに必要な社会福祉のサービスなどにたずさわる。最近は、スクールソーシャルワーカーや医療ソーシャルワーカーなどと言われる人もいるようだ。医療ソーシャルワーカーとは、保健医療分野におけるソーシャルワーカーであり、主に病院において「疾病を有する患者等が、地域や家庭において自立した生活を送ることができるよう、社会福祉の立場から、患者や家族の抱える心理的・社会的な閉居の解決・調整を援助し、社会復帰の促進を図る」専門職を指す。この病院にも地域医療連携室があり、この医療ソーシャルワーカーが配置されていた。

 ソーシャルワーカーに「町に介護の申請をするといい」と聞き、その手続きをとった。母の入院中、町の担当者も母の様子を見に来た。

 介護には要支援と要介護がある。要支援は2段階、要介護は5段階ある。母はそのなかで要介護2の認定となつた。

 

 隣町のケアマネージャー

 

 母は住み慣れたところを離れることを望まなかったので、一人で生活できる体制はどうしたらいいかということも考えなければならなくなった。

 そこで、またまた病院の医療ソーシャルワーカーに相談した。ケアマネージャーは、いそがしくて順番まちということなので、隣の北見市のケアマネージャーを紹介してもらった。ケアマネージャーとは介護支援専門員の通称であるらしい。ケアマネージャーは、介護保険法において要支援・要介護認定を受けた人からの相談を受け、居宅サービス計画(ケアプラン)を作成し、他の介護サービス事業者との連絡、調整等と取りまとめなどをする。

 母は、10月の中旬に退院することになり、その前にケアマネージャーに束てもらった。どんな設備が必要かなどを相談して、玄関などに手すりを設置してもらい、ベットのところにはつかまって立つことができる器具を貸してもらうことにした。

 ケアプランについても相談し、デイサービスの施設に週二回通うことにした。これは病院のそばにあった施設がいっぱいだったこともあり、別な施設を紹介してもらった。この施設では9時ごろから4時半ごろまで過ごすことになる。バスで家の前まで送り迎えをしてもらえる。また入浴施設もあり、そこで入ることもでき、昼食もできる。

 母は、「ゲームをしたり、色ぬりをしたり、カラオケをしたりまるで幼稚園のようなところ」といっているが、人と触れ合う機会が大切と思っているともいう。

 町の主催する一人暮らしの高齢者の昼食会には、デイサービスに通っていると参加できないということがあとでわかった。

 そして、月に二回ホームヘルパーにきてもらうことにした。歩いて買い物に行くには困難なため当初は、掃除と買い物を援助してもらおうと考えたが、掃除だけをおねがいすることにした。コンビニが、会員に無料で宅配をしてくれることが分かったので、それを利用することにした。

 

 菊まつりへ立ち寄るーー車いすを使う

 

 10月の終わりに北見の病院に健診に出かけた。それが終わってから母が、「菊祭りを駅の裏でやっているので見ていきたい」という。時間もあったので、それにつきあうことにした。母は家でも草花をよく育てている。冬でも庭にある植木などを鉢に植え替えて室内に持ってきて世話をしたりしている。そんなこともあり、それを見てみたいと思ったのであろう。祭りの会場は駐車場から二、三百メートルのところにあった。杖を使っても長い距離は歩けないので、駐車場のわきにあった車椅子を使うことにした。

 わたしは教員時代、筋ジストロフィーの子を車いすに乗せて散歩したときのことを思い出した。

 ついつい車椅子をとめたときなど「このブレーキをかならずかけるのだよ」などと声をかけ、また、坂になっているところでは後ろ向きに下がるようにと気を付けてあげるようにもした。菊はビニールハウスの中に展示されていた。わたしもゆつくりと菊祭りを見るのははじめてだった。

 

 

 姉や妹と相談して、可能な時に美幌に行くことにした。わたしはこのところ、毎月1週間ほど行っている。 

                              (10・4)