政令一部「改正」は権利 としての障害児教育を否定するものだ

 

 今年(2013)6月出目、文部科学省は、学校教育法施行令(政令)の一部を「改正」する政令案についてパブリックコメント意見公募手続)を実施した。(なお、政令とは学校教育法の精神を具体化するために内閣が定めるものとされている)。
 しかし、改定案は、文科省の都合に合わせて就学手続きを改悪するなど、権利としての障害児教育を否定しかねないものとなっている。「改正」点は以下の3点である。
(1)就学先を「決定」する権限を市町村教委に与えること。
(2)視覚障全署等が住所の存する小中学校以外の小中学校や中等教育学校に就学することについての規定の整備。
(3)市町村教育委員会による保護者および専門家からの意見聴取を、新入学の時だけでなく、小学校から特別支援学校中等部等への進学の際も行なうようにすること。
 ここでは、とりわけ「(1)就学先を『決定』する権限を市町村教委に与えること」に絞って見ていきたい。そこに問題が集中しているからである。すなわち、パブリックコメントはいう。
「視覚障害者等(視覚障堂暑、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。)で、その障害が、同令(学校教育法施行令−引用者)22条の3の表に規定する程度のものをいう。)について、特別支援学校への就学を原則とし、例外的に認定就学者として小中学校へ就学することを可能としている現行規定を改め、個々の児童生徒について、市町村の教育委員会が、その障害の状況等を踏まえた総合的な観点から就学先を決定する仕組みとする(傍線は引用者)。」
 しかも、その施行を性急にも本年9月1日(予定)としているのだ。
 就学は権利であるという観点に、真っ向から対立してくるものというほかない。

 

 「市町村教委が就学先を決定する」とは

 

 近代社会では権利と義務はメダルの表裏のような関係にあり、これがワンセットで扱われているのだ。しかし、権利と義務はただ一点において決定的に異なっている。たとえば、義務は納税の義務に見られるように、特定商品を購入しようとすれば同時に、しかじかの消費税も徴収されてしまう仕組みになっている。つまり、義務は、本人の意志いかんにかかわらず、いやおうなく義務的に履行させられてしまうのである。
 これに対して権利はといえば、たとえば選挙権に見られるように、だれに投票するか、あるいは投票しないかをもふくめて、最終的には権利行使主体者の選択にまかされているのである。権利は選択的であるということに他ならない。これこそが譲り渡すことのできない権利思想の立脚点である。
 同じように、教育を受けることが、日本国憲法に保障された国民の権利(第26条) である以上、地域の通常学級または特別支援学級、あるいは特別支援学校のいずれを選ぶかは、最終的には権利行使主体者の選択にまかされていると考えるのは、権利論からみて理の当然といえよう。親(本来的には本人) の学校選択権の法理が導きだされるゆえんである。
 つまりは、子ども本人またはその権利代行者である親が地域の通常学級を就学先として選択したならば、その意志にそって、市教委は学籍を措置しなければならないということであり、市教委にはそうした学籍措置責任があるということに他ならない。
 しかし、文科省のパブリックコメントでは、そのようになってはいない。「市町村の教育委員会が」、「就学先を決定する仕組みとする」というのだからである。国民の権利を真っ向から踏みにじるものというほかない。

 

 法令は「特別支援学校への就学を原則」としてはいない

 

 パブリックコメントの文面には、「視覚障生者等について、特別支援学校への就学を原則とし」ている「現行制度を改め」とあった。しかし、現行法令は、そもそもそのような解釈を許してはいないのである。
 学校教育法第72条には、「特別支援学校は、視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。以下同じ。)に対して、幼稚園、小学校、中学校または高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上または生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的とする」としているのである。しかし、だからといって、そこに記された障害をもつ子どもたちは、かならずそこに行かなければならないとは、どう読んでも書かれてはいない。教育を受けることが、譲り渡すことのできない国民の権利である以上、そう書かれるはずはないからである。
 つまり、現行規定でも、「視覚障害者等について、特別支援学校への就学」が原則であるとはしていないのだ。政令が一部「改正」されたとしても、この点が変わるわけでないことは、あらためて強調しておきたい。
 したがって、パブリックコメントにいう学校教育法施行令22条の3の表に規定する障害の程度についても、特別支援学校に就学できる子どもの障害の程度ーーいわば資格要件のようなものーーを示したにすぎないということになる。まして、「市町村の教育委員会」が、特別支援学校行きを「決定する」など、それこそ法令を逸脱するものといわねばならない。
 さらに、パブリックコメントでも触れられていた「認定就学者」制度について見る。これは、施設、設備が整っていたり、専門的知識を有する教師がいる場合などには、例外的に「認定就学者」として、地域の通常学級に就学できるとされてきたものである。しかし、そのような条件が整っていない場合には、「認定就学者」とは認められない。つまり、学習者本人の主体的条件によって判断されるのでなく、行政の在り方に左右されるということになってしまう1
 いま、国連「陸生暑の権利条約」の早期批准が話題となり、今年(2013)6月には、わが国においても「障害者差別解消法」が成立した。そこでは、「差別的取り扱いの禁止」や、必要な人すべてに障害に見あった「合理的配慮」が提供されるべきこと、それを提供しないことそれ自体が差別であるとされているのだ。その立場に立つとき、「認定就学者」制度がいかに差別的であつたかがより明らかとなる。文科省が、今回これを見直さざるをえなかったゆえんともいえるだろう。
 そして、これに代わって登場させられたのが、「市町村教委」による「就学先の決定」にほかならない。

 

「親(本来的には本人)の学校選択権」を武器に



 さらにパブリックコメントには、「障害の状態等を踏まえた総合的な観点から就学先を決定する」とあった。ここでいう「総合的な観点」とはどのようなものか。
 今回の政令一部「改正」案の前提となった中央教育審議会等中等教育分科会報告(中教審報告)には、「障害の状態、本人の教育的ニーズ、本人・保護者の意見、教育学、医学、心理学等専門的見地からの意見、学校や地域の状況等を踏まえた総合的な観点」とあった。見てのとおり、ここでは「本人・保護者の意見」は、他の専門的見地とならんで意見の一つに貶められているのだ。しかも、このような「保護者および専門家の意見聴取」 の機会を、就学時だけでなく、進学に際しても行なうというのである(今回「改正」の3点目)。
 中教審報告には、「本人・保護者の意見を最大限尊重し」と書かれていた。しかし、最終的に市町村教委が「就学先を決定する」というのであれば、この文言も単なる修辞にすぎなくなってしまいかねない。まして、今回の「改正」案には、そのような文言はどこにもふくまれてはいないのである。
 こう見てくると、今回の学校教育法施行令の一部を「改正」する政令案は、権利としての障害児教育そのものを否定するに等しいといえるだろう。私たちとしては、今夏8月25、26日に予定されている「人権と教育ふぉーらむ」で論議を尽くすとともに、これに反対する国民的論議を巻き起こす運動を展開しなければならない。それとともに、親(本来的には本人)の学校選択権を武器に、○○さん、○○くんの個別具体的な権利要求に立脚した就学闘争をひとつひとつ克ちとり、それを全国的なネットワークにつなげる、そのことによって、こうした政令一部「改正」を矯め直す以外にないと考えるものである。権利は座して与えられはしない、闘いとられねばならないのである。
           2013年8月9日

 《補足》

 本年(2013) 9月1日、学校教育法施行令が一部「改正」された。
 今回「改正」 の特徴は、障害があっても施設、設備などが整っている場A口は、地域の通常学級に就学できるとしていた「認定就学者」制度が撤回され、それに代わって「認定特別支援学校就学者」制度がもち込まれたことにある。
 「認定特別支援学校就学者」とは、市町村の教育委員会が、障害の状間数育上必要な支援の内容、地域における教育の体制整備の状況、その他の事情を勘案して、特別支援学校に就学させることが適当であると認める者をいうとされている。これでは、これまで市教委が認めた場A口だけ通常学級に就学できるとされていたのが、今度は逆に市教委が認めた場合だけ特別支援学校に就学できるということになってしまう。私たちが常に主張してきた「権利としての障害児教育」の観点に、真っ向対立するものと言わざるをえない。
 しかも、市教委が就学通知を出す際には、保護者の意見を聞くものとされているが、それすらここでは「その他の事情」に貶められているのだ。
 あらためて「親(本来的には本人)の学校選択権」を武器に、全国各地での運動を呼びかける次第である。        2013・9・5