就学は権利だ

 既報(本紙470号)のように、学校教育法施行令(政令)一部「改正」は、本年(2013826日公布され、91日施行された。そこでは、施設設備が整っていて、専門的な知識をそなえた教員がいる場合には、障害があっても地域の通常学級に就学できるとする旧来の「認定就学者」制度に替えて、今度は逆に、市町村教育委員会が認めた場合にかぎって特別支援学校に就学できるという「認定特別支援学校就学者」なる新たな差別が持ち込まれた。しかも、同時に出された文部科学事務次官「通知」では、障害児の就学について、「最終的には市町村教育委員会が決定する」としているのだ。明らかに権利としての障害児教育という観点に真っ向対立するものといわねばならない。 

 

 あらためて権利としての障害児教育を

  

 これまで本紙上で幾度となく、権利としての障害児教育について述べてきた。しかし、問題は最終的には行政の対応いかんにかかるし、それは今後も変わらない。

 近代社会では権利と義務はメダルの裏表(うらおもて)の関係にある。つまり、これがワンセットであるということだ。とはいえ、権利と義務はただ一点において決定的に異なっている。端的にいって、義務は納税の義務に見るように、特定商品を購入すれば同時に、しかじかの消費税が徴収されてしまう。つまり、義務は、本人の意志いかんにかかわらず、いやおうなく義務的に履行させられてしまうということである。

 これに対して権利はといえば、たとえば選挙権に見るように、だれに投票するか、あるいは投票しないかをもふくめて、最終的には権利行使主体者の選択にまかされているといえるのである。権利は一定の事柄について選択的であるということに他ならない。これこそが譲り渡すことのできない権利思想の立脚点なのである。

 同じように、教育を受けることが、日本国憲法「教育を受ける権利」(26条)に保障された国民の権利である以上、地域の通常学級または特別支援学級、あるいは特別支援学校のいずれを選ぶかは、最終的には権利行使主体者の選択にまかされていると考えるのは、権利論からみて理の当然といえよう。親(本来的には本人)の学校選択権の法理が導きだされるゆえんである。

 

 認定特別支援学校就学者とは

 

 では、今回の政令一部「改正」ではどうか。

 「改正」政令の要は、その第5条にあるといえる。条文自体が長文で、かつ大変わかりにくいものであるが、簡潔に要約すれば、(就学予定者のうち「認定特別支援学校就学者」以外の者については、その保護者にたいして入学の二か月前までに、小学校、または中学校の入学期日を通知しなければならない) ことになっている。

 では、ここで除外された 「認定特別支援学校就学者」とは何か。すなわち、「視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む)で、その障害が、第二十二条(学校教育法施行令引用者)の三の表に規定する程度のもののうち、当該市町村の教育委員会が、その者の障害の状態、その者の教育上必要な支援の内容、地域における教育の体制の整備の状況その他の事情を勘案して、その住所の存する都道府県の設置する特別支援学校に就学させることが適当であると認めるもの」(第5条)をそう規定しているのである。

 「改正」前の政令には、同じような制度として「藩定就学者」制度があった。これは、施設や設備が整っていて、専門的知識をもった教員が配置されるなどの環境が整っていれば、障害を持っていても「認定就学者」として、地域の通常学級に就学できるというものであった。そのような条件が整っていない場合には、「認定就学者」とは認められない。

 しかし、これでは学習者本人の主体的条件によって判断されるのではなく、行政の在り方によって就学先が左右されることになってしまう。今回この制度を見直さざるをえなかつたゆえんともいえるだろう。

 そして、これに替えて登場させられたのが、「認定特別支援学校就学者」制度にほかならない。

 では、「認定就学者」と「藩定特別支援学校就学者」、どこが変わったのであろうか。結論を先にいえば、何も変わらなかったといわざるをえない。認定される対象が、通常学級に就学できるとされる「認定就学者」か、特別支援学校へと振り分けられる「認定特別支援学校就学者」かの違いにすぎないからである。つまり、これまでは、「藩定就学者」と認められなかった場合には特別支援学校就学を強いられていた。今回は、「認定特別支援学校就学者」と認められなかった場合のみ、地域の通常学級就学が認められるということにほかならない。「認定就学者」制度に替えて、「認定特別支援学校就学者」制度なる、新たな差別が持ち込まれたのである。これが、私たちのかかげる権利としての障害児教育の立場と相いれないことはいうまでもない。

 

 最終的に就学先を決めるのは?

 

 また、今回の 「改正」にともなつて、各都道府県・指定都市教育委員会教育長や都道府県知事などに宛てて「学校教育法施行令の一部改正について」と題した文科事務次官「通知」が出された。

 そこでは、昨年(20127月に公表された中央教育審議会初中教育分科会報告「共生社会の形成に向けたインクルーシプ教育システム構築のための特別支援教育の推進」(中教審報告)を踏まえて、今回の「改正」がなされたという。つまり、「本人・保護者の意見を最大限尊重し、本人・保護者と市町村教育委員会、学校等が教育的ニーズと必要な支援について、合意形成を行うことを原則とし、最終的には市町村教育委員会が決定することが適当である」と中教審報告が指摘しているとして、「この点は、改政令における基本的な前提として位置づけられる」としているのだ。しかし、障害児の就学先を「最終的には市町村教育委員会が決定する」など、許されるものではない。ここにも権利としての教育という観点は、すっぽり抜け落ちているのだ。

 また、ここでは「本人・保護者の意見を最大限尊重し」とあるが、果たしてそうか。学校教育法施行令第18粂の2では、障害児に入学期日の通知をするときは、「保護者及び教育学、医学、心理学その他の障害のある児童生徒の就学に関する専門的知識を有する者の意見を聞くものとする」としているからである。見てのとおり、ここでは「本人・保護者の意見」 は、他の専門的見地とならんで意見の一つに定められてしまっているのだ。

 まして、最終的に市町村教委が「就学先を決定する」というのであれば、この文言も単なる修辞にすぎなくなつてしまいかねない。しかも、今回の「改正」政令には、そのような文言はどこにもふくまれてはいないのである。

 そのうえ、今回の事務次官「通知」では、この点についての留意事項として、わざわざ「保護者の意見については、司その意向を尊重しなければならない」(傍線は引用者)としているのである。

 こう見てくると、今回の学校教育法施行令一部「改正」は、権利としての障害児教育そのものを否定するものというほかない。

 これに対して、障害を持つ子どもたちひとりひとりの、個別具体的な権利要求に立った運動こそが、いまこそ切実に求められているといえるだろう。あらためて、親(本来的には本人)の学校選択権を武器とした地域校就学運動を呼びかけるゆえんである。

 

               宮永 漢