「学び」こそ子どもの権利だ

 

 昨2012年7月、文科大臣の諮問機関である中央教育審議会(初等中等教育分科会)の答申がでました。09年の政権交代以後、政府は障害者の権利条約(00年国連総会採択、07年日本政府署名)の批准を前に法制や施策の検討を進めてきていました。

 この答申、「共生社会の形成に向けたインクルーシプ教育システム構築のための特別支援教育の推進」と銘うっていますが、ほんとうのところどうなのでしょう。障害のある子どもも地域の学校で共に生活し、共に学ぶインクルーシプ教育=インクルージョンを実現し、障害者の「教育を受ける権利」(学ぶ権利)の拡充を図ろうとしているのでしょうか。

 ご承知のように、国際的には女性、少年、老人、少数民族等々の社会的少数者の権利拡充とあわせて、障害者のインクルージョンが教育の主流になってきています。ところが日本の文科省はこの間分離主義教育路線に固執し、障害児の学区校就学を「例外」として扱ってきているのです。そんな文科省の政策をバックアップしてきたのが中教審でした。

 事実、今回の答申は、市町村教委に就学先を決定する権限を与えることによって「就学指導」体制を強化しようとさえしているのです。これについては本紙462号掲載の「中教審答申は『権利としての教育』の破壊だ」に批判的な検討を書いておきましたのでご参照いただけると幸いです。

 

旧来の「学び」を反省できない

 

 さて第二の問題点は、旧来の「学び」の考え方が反省されていないところから、またぞろインクルーシプ教育に「可能児」と「不可能児」を持ち込むことにもなりかねないことです。答申はこう言っています。

「個々の子どもの障害の状態や教育的ニーズ、学校や地域の実情等を十分に考慮することなく、すべての子どもに対して同じ場での教育を行おうとすることは、同じ場で学ぶという意味では平等であるが、実際に学習活動に参加できていなければ、子どもには、健全な発達や適切な教育のための機会を平等に与えることにはならず、そのことが、将来、その子どもが社会参加することを難しくする可能性がある。財源負担も含めた国民的合意を図りながら、大きな枠組みを改善する中で、『共に育ち、共に学ぶ』体制を求めていくべきである」(ゴシック、筆者)。

 この文中の「学習活動」とは、算数や国語などの既存の教科学習を念頭においたものと見て間違いないでしょう。すなわち、答申は「障害のある子どもが地域の通常学級で健常の子どもと一緒に机を並べていても、実際に授業に参加できていなければ、健全な発達や適切な教育のための機会を平等に与えることにはならない」といつている訳です。

 もっともらしく聞こえますが、しかし、この論を推し進めていくと、結局、「実際に授業に参加できている」かどうかを基準にして、インクルージョンが「可能な子」と「そうでない子」を分けていく政策に至りつくのではないでしょうか。しかし、この間の統合教育=インクルージヨンの発展は、中教審の提言の底流にある「読み、書き、算」に代表される旧来の学びの考え方を根本から転換してきたのです。

 

 学びの考え方の山転換へ

 

 1997年、当時茨城県茎崎町(現、つくば市)にお住まいの菊地絵里子さんが、娘の翔子さん(重度の重複障害)を学区小へ就学させるため、その意志をしたためた要望書を町教育長宛にだしました。そこには、こういうことが書かれています。

「翔子が、授業の内容を理解することはできないことも解っています。だからと言って一緒にいることが意味がないとは思いません。翔子なりの学び方があると考えます。掛け算を理解することはできなくとも、クラスの友だちが掛け算を暗唱する声を聞くことはできます。翔子にとつては、それを聞くことが学習です。先生の声に対する子どもたちの反応をまぢかに感じることも、翔子にとつては学習です。子どもたちのざわめきや歌声のする場にいること、『翔子ちゃん』と語りかけてくれるいろいろな声を感じて聞き分けていくこと、たくさんの友だちから顔を見つめてもらうこと、手を握ってもらうこと、自分に対してさまざまな反応を示すことを体全体で感じること、それらすべてが翔子にとっては学習だと考えます」(菊地絵里子著『翔子、地域の学校に生きる!』、社会評論社より)。

 ここで菊地さんは障害のある子どもの学習を「読み、書き、算」というふうにだけ狭く考えるのではなく、自分に向けられるさまざまな周りからの反応を体全体で感じとることも、翔子さんにとつての学習なのだといっています。つまり、日々の生活が学習なのだというふうに広く学習を理解する必要があるというーー」とを強く言っているのです。

 翔子さんは地域校就学をかちとりましたが、担任の先生はどんなふうにかかわっていたのでしょうか。1年生3学期、音楽の時間のことです。先生が音楽室から小さな鉄琴を持ってきました。そして翔子さんの机にそれをのせてから、「ここへ来て交代で弾くようにしましょう」と子どもたちに話しかけました。みんなが机の前に並ぶのを見計らってから、先生は、翔子さんにバチを握らせ、弾く順番に当たっている子の両手をとつて、そっと翔子さんの両手にのせました。そして一緒に鉄琴を弾かせたのです。

 なかには先生に代わつて翔子さんにバチをもたせようと悪戦苦闘している子どももいたようでした。この体験は翔子さんだけでなく、クラスの子どもたち一人ひとりにとつても大切な学習になっているといえないでしょうか。すなわち、障害のある子どもと健常の子どもがかかわりあい、混ざり合いながら互いに学びあう機会を保障していこうとの、ちょっとした心遣いが担任の先生にあればインクルージョンは、とりあえず実現可能だといえるでしょう。

 

 「学び」は不可欠の権利

 

 それから15年が経ちました。現状はどうでしょぅか。横浜市の小学校4年生の伊藤聡吾(そうご)くん(発達遅滞)の場合を見てみましょう。就学する前の話合いの時、校長は「支援員の公的配置がむずかしい」からと、お母さんに付添を求めてきました。もちろん障害児の親御さんにはそんな義務はありません。必要な支援や援助は行政の責任において行われねばならないからです。それが「義務教育」というものでしょう。

 けれどもお母さんはこの要求をやむなく承諾しました。すると学校側は授業中隣の席に付くようにといい、休み時間には1メートル以内のところに立つように指示してきました。春の運動会では事前練習からずっと付きっきり、水泳指導でも一緒にプールに入りました。遠足でも、当然のように付添を求められたのです。これではお母さんが先生です。

 2年生の終わり頃、お母さんは無理がたたつて体調を崩してしまいました。そこで3年生から聡吾くんは特別支援学級に移ることを余儀なくされました。ところがまたまた学校側は付添を求めてきたのです。また交流学級(通常学級)の先生の姿勢は「来られたら来てください」というものでしたので、お母さんはがっかりさせられました。

 結局、学校側は、安全を確保するという名目でお母さんを無理やり付き添わせ、それによって、聡吾くんとクラスの子どもたちとの関わりや交わりを断ち切りました。そして集団生活のさまざまな場面において学びあう機会を奪ってきたといえるでしょう。つまり、旧来の「学び」をよしとするところから、知的障害のある聡吾くんの「学ぶ権利」をないがしろにしてきたのです。しかも、これについてまったく無自覚でした。今回の中教審答申はこうした学校現場の空気と共鳴しあっていると見ることができます。

 常識論は、無知に支えられているがゆえに容易に差別的な考え方とむすびつくのです。

 1985年、パリでひらかれたユネスコ国際成人教育会議で採択された「学習権宣言」には、こんなことが言われています。

「学習権は、きたるべき日のためにとつておかれる文化的ぜいたく品ではない。それは、生存の問題が解決された後にはじめて生じる権利ではない。それは、基本的なニーズが満たされたあとにとりあげられるものではない。学習権は、人類の生存にとって不可欠な道具である」(ゴシック、筆者)。

 すなわち、学びとは人間としての根源的な知的欲求に根ざすものであり、生存上、不可欠の権利なのです。いまこそ旧来の学びの考え方が転換されなければなりません。ここ何年か、先の二例をふくめていろいろな問題にぶつかり、このことを痛感する次第です。

       2012・12・1 山田 英造