天皇が元首になってたまるか

 

 いま憲法論議がかまびすしい。とりわけ昨年4月に発表された自民党改憲草案の実現を、自民党は、昨年12月に行われた総選挙の公約としていた。そして、今年(2013)1月28日に開会した通常国会で、安倍首相は、「(改憲は)96条からはじめる」(30日)と答弁している。

 いうまでもなく、日本国憲法96条は、「この憲法の改正は、各議員の三分の二以上の賛成で、国会がこれを発議」し、「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」としているのだ。これを自民党案では、「総議員の過半数で国会が発議」し、国民投票も「有効投票の過半数の賛成」で改憲できるように、改憲のハードルを引き下げようというである。

 人権を保障するために憲法が国家権力を制限するというのが立憲主義の立場であり、主権者である国民が権力をしばるための命令が憲法に他ならない。そうした性格から、改憲要件のハードルが高いのは当然であろう。そのために日本国憲法99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」に憲法尊重擁護義務を課している。その義務を課されている安倍政権が、改憲を声高に叫ぶのは、きわめて異常というほかはない。

 今年5月13日、改憲要件を緩めるねらいから旗揚げした「憲法96条改正を目指す議員連盟」の総選挙後初めての総会が開催され、その時点で加盟国会議員は、自民党、日本維新の会、みんなの党をふくめて350名を越えた。しかも、安倍政権の閣僚のほとんどがそのメンバーに名前を連ねているのだ。そのうえ、この7月に予定されている参院選の自民党の公約にも96条改訂を盛り込むという。「まず改憲ありき」といわれるゆえんである。では、その先にねらうものとは何か。

 

 天皇が「元首」だなんて

 

 自民党改憲案の前文冒頭に、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であつて、国民主権の下、立法、行政、及び司法の三権分立に基づいて統治される」とある。日本国は、「長い歴史」と「固有の文化」 に基づく「天皇を戴く国家」というのである。「国民主権」や「三権分立」との文言が見られるとはいえ、つまりは天皇中心の国家体制を目指すということに他ならない。そして、そこから、直裁に 「天皇は日本国の元首」(第1条)であるとされているのだ。

 現行憲法では、主権は国民にあり、天皇は政治的機能をもたない象徴的存在であるとして、その権力は剥奪され、象徴的機能としての「国事行為」 のみが認められているのである。つまり現行憲法が共和制を前提としているのに対して、自民改憲案は、それを戦前の君主制国家へと回帰させよういうのだ。

 戦後60年、基本的人権、平和、民主主義が、さまざまな局面でのたたかいを経て、これをかちとってきた国民の立場からは、到底容認出来るものではない、

 しかも、自民案3条では、「国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする」とされ、その2項では「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」として、良心の自由を踏みにじって日の丸、君が代を国民に強制しているのである。

 そのうえ、憲法尊重擁護義務を定めた現行憲法99条から、新たに「元首」と位置づけた天皇と摂政を削除する一方で、「国民の憲法尊重擁護義務」を加えているのだ。くり返していうが、現行99条は、国民が国家に対して命じる制限・命令であることを示す規定である。

そのため国民にはそれは義務づけられてはいない。ところが自民案では、天皇を超憲法的存在とし、他方、国民には、天皇を中心とした「長い歴史」と「固有の文化」なるものをもつ国の尊重擁護を義務付けようというのである。

 

 前文から削除されたもの

 

 現行憲法前文は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」と国民の不戦の決意を表明し、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人類相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と、国際協調による平和の構築を格調高く謳いあげている。

 ところが、自民故意実は、これを全面的に削除した。とりわけ「諸国民の公正と信義に信頼して」という規定を「特に問題」にし、「ユートピア的発想による自衛権の放棄」(自民党憲法改正推進本部「日本国憲法改正草案Q&A」)として切り捨てたのである。しかし、現行憲法前文に明示された理念こそ、第二次世界大戦のおびただしい流血のうえに築かれ乍人類の到達点ではなかったか。それは、国連憲章第1条に同様な理念が高らかに謳われていることからも言えるであろう。

 さらに自民改憲案は、「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」とした、平和的生存権をも取り去ってしまった。これもまた、戦争こそが、人権保障の最大の脅威であり、平和であつてこそ、人権も十全に保障されるという反省にもとづく人類の到達点の一つである。これらを取り払ってしまうところに、「戦争ができる国へ」との思惑がはつきり見てとれる。

 

 「戦争放棄」を「安全保障」 に

 

 案の定、不戦、非武装、戦争放棄を明示した第二章「戦争放棄」は、「安全保障」という題に変えられた。そしてその9条は、「自衛権の発動」を容認するとともに、第9条の2では、「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」としているのだ。そればかりではない。改憲案第98条では、「わが国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害、その他の法律で定める緊急事態」の際は、内閣総理大臣は「緊急事態」を宣言できるとしている。3・11の東日本大震災や原発事故によってもたらされた多くの国民の不安に乗じて、「大規模な自然災害」を口実に国民の人権を停止し、独裁的に権力行使ができる仕組みを整えようというのである。しかも、緊急事態は、最大で100日間継続し延長も可能とされるなど、異常に長期間にわたって「戒厳状態」ともいうべき状態が想定されているのだ。

 そのために自民改憲案は、現行97条を全面削除している。すなわち、日本国憲法「最高法規」の章の冒頭に掲げられた97条は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に耐え、現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」と規定している。つまり、基本的人権を保障するところにこそ、憲法の最高法規としての意味があることを示すものといえよう。そして、これが削除された意味は、いまや明らかである。緊急事態が宣言された際に、この条規が阻害要因になりかねないということに他ならない。

 まとめてみると、天皇を、「元首」として憲法尊重擁護義務から解き放ち、国防軍を設ける。緊急事態に際しては、国民の基本的人権も制限しかねない。そして、国民よりも国家を優先する憲法の尊重擁護義務を国民に押しつける。軍隊の統帥権には触れられてはいないものの、そこに見えてくるものは、とんだ戦前回帰の君主制国家といわねばならない。

 そして今また、このような方向に拍車をかけるように、この4月27日、産経新聞は、創刊釦周年記念事業として、「国民の憲法」要綱を発表した。そこでも、「天皇は元首」「軍を保持」とされている。さらには、日本維新の会は、「(改憲を)自民党とともに大いに進めていきたい」(衆院予算委員会、2013・2・8)と安倍首相にエールを送っている。

 こうした改憲の方向に対して、ここ何年も、「九条の会」をはじめ、各地で草の根の運動が根強くつづけられている。反原発やオスプレイ配備・訓練、普天間基地反対の問題にしろ、多くの人々が関心をもち、各地で運動がつくりだされている。いまこそ、こうした運動がよりあわさって、反改憲の一大国民運動へと発展させることが求められているのである。    

 

宮永 潔