地域校就学と合理的配慮                           - 権利はしっかり主張しましよう

 

 

 ここのところ、地域の通常学級への就学に際して付き添いが求められるなど、行政や学校の理解がなかなか得られない場合がたてつづけに報告されています。本紙前号(491号)のAさんや前々号(490号)のBくんの場合もそうでした。この夏に開催した「実現する会」主催の「夏季ふぉーらむ」では、通常学級に就学している場合だけでなく、手厚い支援をもとめて就学したはずの特別支援学校でも、親の付き添いが求められたというケ-スが、参加されていたお母さんから報告されています。そんな状態がつづくと、それこそ親御さんの身も心も疲れてしまいかねません。と同時に、「障害に基づくいかなる差別もなしに、全ての障害者のあらゆる人権及び基本的自由を完全に実現することを確保し、及び促進することを約束する」と謳った国連「障害者の権利条約」(2014年、我が国でも批准)の基本理念を、底土から掘りくずすものといえるでしょう。
 明年度就学期を控えたこの機会に、あらためて地域校就学にあたっての問題について考えてみましょう。

 

 

   どのような障害があっても
   地域校への就学は権利です

 

 日本国憲法には、「教育を受ける権利」(第26条)が謳われています。これは国民一人ひとりに保障された、譲り渡すことのできない権利にほかなりません。この点はしっかり押さえておきたいところです。
 近代社会では、権利と義務はメダルの裏表のような関係にあるといわれます。しかし、権利と義務はただ一点において、決定的に違うのです。
 義務というのは、納税の義務に見られるように、商品を買えば、本人の意志にかかわりなく消費税が徴収され、給料からは所得税がいやおうなく徴収されてしまいます。
 それに対して権利はといえば、たとえば、わたしたちには「婚姻の自由」(憲法24条)が保障されています。すなわち、結婚することは国民の権利といえるでしょう。
 婚姻を届け出るに際して、誰と結婚しようと市の担当者から「この結婚はどうにも不都合で」などといわれることはありません。また、結婚しないからといって、行政からとやかくいわれることがないこともご承知のとおりです。行政の側は、婚姻届が提出されたなら、それを手続きにしたがって受理するしかないのです。このように権利というのは、本人の意志にかかわりなく履行させられてしまう義務とは違って、それをどのように行使するか、あるいは行使しないこともふくめて、権利行使主体者の選択にまかされているということに他ならないのです。
 教育についても同じで、地域の通常学級あるいは特別支援学級、特別支援学校のいずれに就学するかは、権利行使主体者の選択にまかされているのです。もちろんその判断ができないお子さんに替わっては、第一次的養育責任を有する保護者(「子どもの権利条約」18条、1994年批准)が判断することになるのは言うまでもないでしょう。親(本来的には本人)の学校選択権が導きだされるゆえんです。つまり、どのような種類の、どの程度の障害があっても地域の通常学級に就学することは、当然の権利だということに他なりません。この点は何度でも確認しておきたいところです。

 

 

   地域校就学に
    なぜ条件がつけられるのか

 

 では、なぜ障害をもっている子どもたちだけが、条件をつけられたり、保護者に付き添いが求められたりするのでしょうか。
 本来、日本国憲法やそれに基づくさまざまな法律・法令、あるいは条約に照らして、就学時や就学後に生じるさまざまな問題の解決が図られるべきなのはいうまでもありません。しかし、市町村教委の実務担当者はそうではなく、文部科学省から出されている『教育支援資料』などのマニュアルに従って日常的に事務処理を行っているのです。そこに問題点の一つが認められます。
 文科省は、「本人、保護者の意見を最大限尊重」するとしているにもかかわらず、その一方、相も変わらず「就学先を最終的に決めるのは教育委員会」としているのです(文部事務次官「通知」2013年9月1日付)。こうした内容は、『教育支援資料』にも認められます。これでは、地域校就学を求める保護者が、市教委から付き添いなどの条件を出された場合、これを拒否するのは難しいという場合も出て来かねません。
 さらに問題点をあげるなら、上記教育委員会を第一の壁として、第二の壁、つまり学校現場の無理解があげられます。障害をもっている子にたいして、「この子はこの学級にいるべきではない」、「特別支援学級あるいは特別支援学校に行くべき子」、さらには、「通常学級に受け入れてあげている」という考え方。意識的であれ、あるいは無意識であったとしても、そのような旧来の「特学意識」が、いまだ学校現場に揺曳(ようえい)しているという事情もあります。そのため、介助は親がやって当然といった旧態依然の風が残っているのです。
 通常学級に通う車椅子の子どもについて校長が、「介助は親がするから」としていたことから、教員だけでなく友だちも手を貸してくれないというケースも最近聞かれました。このような学校側の姿勢が、クラスの子どもたちにも影響を与えているのです。幸いなことにこの場合、保護者の抗議により校長が折れた時、同席していた担任が「介助していいんですね」と念を押してくれたというのです。担任として、日頃、心苦しく思っていたのでしょう。こういう教員がいたことに希望が見出だされます。

 

 

    「合理的配慮」の提供は
            当然のこと

  では、右のような市教委や学校側に対してどうすればいいのでしょうか。
 どのような障害があっても地域の通常学級に就学する権利があることは、先に見たとおりです。その権利を保障するために、学校教育法は、保護者にその保護する子女を小中学校に「就学させる義務」(第17条)を課し、その一方、行政には「学校設置義務」(第38条)を課しています。「義務教育」とは、この両方を指していわれているのです。
 「学校設置義務」といえば、ハコ物だけをつくればいいのかと思われるかもしれませんが、黒板や机の設置などは当然のこととして、図書室やパソコンルーム、給食といった施設・設備を整えるということに留まるものではありません。教員や事務職員の配置、さらには学校に通う子どもたち一人ひとりのニーズに十分応えるための人的、物的措置が求められているのです。
 さらに、国連「障害者の権利条約」では、障害ある子どもたちの地域校就学を保障するために「合理的配慮」の提供を行政側に義務づけています。視覚障害の子には点字教科書や白杖訓練の場が保障されたり、聴覚障害の子には必要であれば手話通訳や筆談が保障される。さまざまな場面で介助や支援が必要な子どもたちに、それを保障することが行政に義務づけられているのです。
 ですから、就学に際して付き添いを求める市教委の担当者や学校側にたいして、うちの子が地域の通常学級に就学するのは当然の権利であること。その権利を保障するために、介助や必要な支援を提供する義務が行政や学校側にあることをしっかり主張すること。これこそ、最も肝要なことといえるでしょう。
 

      宮永 潔