原発は人権と民主主義と共存できない-              権力と権威にだまされることなく

 

 

 政治家よ官僚よ、お前たちが福島に住めI

 

 フクシマから5年がたった。

 だが、いまだに「原子力緊急事態宣言」は解除されていない。「宣言解除」の要件は、「原子力災害の拡大の防止を図るための応急の対策を実施する必要がなくなったと認めるとき」(原子力災害特別措置法)と定められているからで、フクシマは、いまでも放射能を大気中に外洋に放出しているのだから、とても「原子力緊急事態宣言解除」なぞできないわけだ。

 フクシマに際し、アメリカのある科学者は「地震大国の日本に原発を作るなんてクレージーだ」と吐き捨てるように言っていた。健全な理性の持ち主なら当然の判断であろう。原発の過酷事故は、狭い一地域だけの災害にとどまらず全世界に及ぶ。それだけにフクシマの事態は世界を震櫨させ、多くの国々の原政策を変更させることになった。だが、当り日本はどうか。

 福島県では、放射能被害などない雰囲気が町中を支配しているというーー。

 鼻血が出たのもほんのわずかな人たちで、大騒ぎする方がおかしい。福島産のコメや野釆からは放射能が検出されていないから、学校給食には地産地消が奨励されている。福島産が放射能汚染されているという「風評」をふりまくやつらは、許せない! -ー、

といったあんばいだ。環境省や経産省の役人は、放射能除染が進んでいるから早く帰還せよといい、環境相の丸川珠代は基準となる年間被曝量を1ミリシーベルトとしている点についてーー。

「『反放射能派』というと変ですが、どれだけ下げても心配だと言う人は世の中にいる。そういう人たちが騒いだ中で、何の科学的根拠もなく時の環境大臣が決めた」と自らの無知をさらけ出した。年間の線量限度を1ミリシーベルトとしているのは、原発支持の国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告であり、新聞などではこの線量限度を知らなかった丸川の勉強不足ばかりが指弾されている。もちろんこれだけで十分大臣の更迭理由になるが、私は「反放射能派」というレッテル貼り・言辞こそ、環境大臣にさせてはならない危険人物だと思う。

 およそ政治家たるもの、放射性物質を詰め込んだフレコンバッグが山積みになっているフクシマを知らぬはずがあるまい。山林は、道路から30mだけ放射能除染するが、それより奥は除染しない。163人もの子どもたちに甲状腺がんを発症させたこんな地に、「住民よもどれ!」と叫ぶお前たち、霞が関から庁舎を移転させ、家族そろって浪江町に住むがいい。住民に帰還を呼びかけるのはそれからだ。

 

 

   原発認可が規制委の仕事

 

 川内原発(鹿児島県、九州電力)につづき高浜原発(福井県、関西電力)3・4号機が、そして伊方原発(愛媛県、四国電力)が再稼働する。

 原子力規制委員会の役割は、申請された原子力施設が新基準に適合しているかどうか、それだけを審査する。だからフクシマと同様な事態になった時、住民避難の経路、方法などは自治体の責任であり規制委が関与する問題ではない、ということだ。同じ論理が14年に緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム( SPPEDI )の計算結果を利用しないと決めた。予測よりモニタリングの正確な値を利用すべきだというのだ。その後自治体が使いたいならどうぞ、ということになった。官僚体質の典型である。そして規制委は、とうとう高浜原発1・2号機の「審査書案」が、「新基準」に適合していると了承する(16年2月)。

 高浜原発1・2号機の問題は、40年廃炉原則の問題である。原発の40年廃炉原則は、米国の制度も参考に法制化されたが、20年延長の「例外規定」も設けられていた。この例外として1・2号機を認めるということ。

 規制委員会委員長・田中俊一は、「(老朽原発も)費用をかければ技術的な点は克服できる」「新しく原発を造る半分の費用がかかっている。それなりの覚悟があったのだろう」(2月25日、東京新聞)と述べ、「例外OK」サインをだしたのだ。

 

 さて、本当に「費用をかければ技術的な点は克服できる」のだろうか。

 原子炉は鋼鉄で作られている。猛烈な中性子線を浴びせられる鋼鉄は、もろくなる。しかし、原子炉の稼働年数ともろさの進行特性は、実験で検証することができない。だから原子炉の中に、炉と同じ材質の鋼鉄を試験片として入れておき、この試験片を数年ごとにとりだして検査するのである。

 一般に鋼鉄の性質は、いろいろな実験によつて確かめられている。たとえば、針金をいくどか方向を変えて折り曲げるとたやすく切断することができる(疲れ破壊)。鋼鉄には粘り強さや展延性があるが、それを変形しない程度の力で繰り返し叩ぐと粘り強さがなくなりもろくなって破断する。力や熱などでは実験ができるから、用途に応じた合金が作られていくのである。また鋼鉄は、温度が下がるともろくなる。新品の原子炉では、マイナス10℃位でもろくなる。ところが、中性子線を浴びていくと、もろくなる温度が上昇する(脆性温度の上昇)。40年たった原子炉は、それが80〜100℃にもなる。中性子線をどれだけ浴びているかは、原子炉以外で実験することはできないから、試験片をとりだして分かったことだ。

 だるまストーブに牛乳ビンを入れ赤くなったところで水に冷やすと、ピンの全面にきれいな模様のヒビが入る。チョンとたたくとビンはパラパラと壊れる。こんな発見をしたのは中学生のときだった。空焚きしたやかんに水を入れるとやっぱりヒビが入る。大ざっぱに言えば、これと同じことが原子炉で起きることが、40年かけて分かってきたのである。

 読売新聞は、高浜原発1・2号機再稼働に関説して「原発の運転期間を40年としたルールに科学的根拠はない。原子炉等規制法を再度、見直すべきだ」と主張している。規制委員会のスタンスは、認可しても「絶対安全というわけではない」。 

 

 だれも責任を取らない国策

 

 

 読売新聞の「原発の運転期間を40年としたルールに科学的根拠はない」と書いた筆者、それを通した編集者の「科学的根拠」について伺いたいが…。

 確かなことは、中性子線による疲れ破壊がいつどういう具合に来るのか、あるいは来ないのか、それが誰もわからないのだ。いえることは、未知の世界へ突入したということなのである。

 原子力発電の事故であろうと、航空機事故であろうと、あらゆる事故は予想されている。だから予防対策が可能なのである。

 福島第1原発を襲った津波も、すでに2008年に予測されて堤防のかさ上げが問題になっていた。でもお金がかかる。東電はケチったのだ。「あんな津波が押し寄せるとは想定外だった」と東電幹部はウソぶいたが、それは責任逃れの言葉。だから、検察審査会から強制起訴される羽目となった。しかし、原発の延長運転は、未経験の世界。なにがあろうとだれも責任をとらないことだけが確定しているのだ。

 

 フクシマは私たちに素晴らしいプレゼントをくれた。原発は人権と民主主義と共存できないことを明かしだてたこと。もうひとつ、日本独占資本主義の実態をつぶさに教えてくれたことである。   

               

 

 (16・4・1)