「ひと」が基本だ

  

 だいぶ前のことになる。自動車の通行量の多い道路に横断歩道橋が目立つようになってきた。道路の上をまたぐかたちでの横断歩道橋が初めて造られたのは一九五九年六月二七日。愛知県清須市西枇杷島町だという。(「実現する会」事務局の石川愛子さんが調べ資料を送ってくれた。)

 この歩道橋は学校に通う子どもたち専用のものだった。この歩道橋は二〇一〇年に老朽化のためとりこわされたということだ。一九六三年四月二五日に大阪駅前に大和ハウス工業が建設して大阪市に寄贈した歩道橋が日本最初の歩道橋とみなされて四月二五日が「歩道橋の日」とされたのだという。私は歩道橋の日という記念日があることは知らなかった。

 東京の道路にも歩道橋が目立つようになってきたのは東京オリンピックが開催された一九六四年ころからだろうか。子どもたちの交通事故を防ごうとして、緑のおばさん(学童擁護者)制度を始めたりしたが、より安全な歩道橋を造ることになった。

 一九五五年ごろからの経済発展は自動車とともにあった。当時交通戦争とよばれたように交通事故による死者も急増し、一九七〇年には年間一六〇〇〇人を越えた。一九六一年には交通事故被害者の治療に健康保険が適用されるようになった。一九六五年には脳神経外科学診療科が独立し、医学部の定員増が実施される。自動車が世の中を大きく変えていく時代に入ったときである。歩道橋は歩行者が自動車と同じ平面で交錯することをなくしたから、それなりに歩行者と自動車の間で起こる交通事故を減らし、自動車の通行をなめらかにしたことはたしかだろう。 

 

   突然腹立たしくなった

 

 東京オリンピックも終って数年後のことだったと思う。学校の子どもたちとの行事が終って、へとへとに疲れた身体で、広い道路を渡ろうとしていた。路面の横断歩道はなく、横断は歩道橋しかなかった。仕方なく歩道橋の階段をひと足昇り始めた。一人のお年寄がわたしの少し前のところにいた。ひと足昇っては一息入れ、二足昇っては一息入れている。四〇段ほどを昇るのにはたいへんそうだった。わたしも重い足を持ち上げながら昇った。今は自分が高齢になって、階段を昇るたいへんさを味っている。

 やっと平らになって、そこを歩きながら道路を見おろした。自動車はタイヤ音をたてながら軽快に走り去っていく。それを見ていて無性に腹が立ってきた。

 「なんで歩く『ひと』がこんなたいへんな思いをして道路を渡らなくてはならないんだ。自動車の方が昇り降りすればいいじやないか」と。そんな腹立たしさはその後も友人や家人に言ったことを覚えている。

 「ひと」が平らな道を歩き、自動車が昇り降りするような道路など、とてつもないお金がかかって無理なことだろう。歩道橋が歩行者の安全と自動車のなめらかな走行のためということはそれなりにわかる。しかし、そのために、一番おおもとのひとりひとりの「ひと」に安全という名のもとに苦痛を強いるのは、理不尽だと思う。「ひと」のためを言いながら、実は自動車のために造ったのだといいたくなる。

 いま歩道橋は少なくなった。やはり腹を立てた人もたくさんいたし、老朽化のため取りはずしてしまったりしたものが多い。駅前などに「ひと」が歩く平面とバスやタクシーが通る平面を分ける歩道橋は増えている。

  一般道路や生活道路はもっともっと「ひと」を基本に造りかえなくてはと、せまい歩道や歩道さえ無い道で端に身を寄せて自動車を通すとき、腹立たしくなる。日本は世界の国々のなかで交通事故死が少ない国ではあるが、歩行者の事故死が多いのが特徴だ。

 

 やることがひっくり返しでは 

 

 ひとりの認知症の高齢者が鉄道線路内に入り事故になり亡くなった。鉄道線路内は入ってはいけないと決められるところだ。その中に入って事故になり鉄道会社は多大な損失を受けた。会社はその損害の賠償をその高齢者の保護者あるいは監督者に要求した。結局裁判になった。新聞記事でその賠償はしなくてもいいという判決が出たことを知った。少しほっとした。

 けれどもよく考えてみればおかしなことだ。「ひと」からみればものごとがひっくり返しだ。鉄道はたしかにいまの社会では重要なもので、なくてはならない存在だろう。しかし鉄路の上を走る電車なり列車は「ひと」より圧倒的に重く速度も速い。とてつもない大きな運動エネルギーをもつ。「ひと」がそれと接すればひとたまりもない。そういうものがひとびとが動きまわる平面と同じ平面を動いているのだ。だから入るのを禁止し、注意を呼びかけているのではあるが、幼児や認知症を患う人はそれがわからない。そういう「ひと」たちがいることが基本である。

 理想的には「ひと」が入れないように施設・設備しなくてはならないのは鉄道会社の側である。「ひと」の側から言えば、そういう施設・設備をしていない鉄道会社こそ、賠償責任を負うべきなのではないか。実際新幹線の線路は「ひと」の活動する平面とは駅以外では交錯しないように造られている。だから開設以来事故を起こしていないということが実現している。ホームドアを設置した駅が少しずつであるが増えている。明らかにホームから線路への転落事故はなくなるし、接触事故もなくなる。そういうことにお金を使うことが「ひと」を基本にすることのひとつにちがいない。


 

 もっと大きなところで 

 

  いま、これを書いている間にも熊本・大分を中心にした地域の大地は揺れ続けている。

 「ひと」の身体に感じる揺れだけでも、もう一〇〇〇回をはるかに越えてしまっている。熊本にこんなふうに震度7を記録するような地震が二度もあり、さらに長期にわたって揺れ続けるなどとだれが予想できただろう。もちろんだれにもわからなかったことである。

 この地震によってたいへんはっきりしたことは、地下一〇キロメートルあたりで何が起きているかは、全くわかっていないということである。人類はまだ地下のことについてはほとんど知り得ていないということが基本である。地上一〇キロメートルといえばジェット旅客機が日常飛んでいるところだ。水平に一〇キロメートルと言えば、マラソン選手だったら三〇分ほどで走ってしまう距離。時速一〇〇キロメートルの自動車だったら六分ほどで走ってしまう距離である。にもかかわらず地下にI〇キロ入ったところのことは全くわかっていない。

 どうなっているかわかっていない地下。わかっているごとく、活断層がないから安全と言い切って原子力発電所を造り発電を続ける。いったん重大事故が起これば、広大な範囲に住む「ひと」の幸福はうばわれる。安心して住む場所も失い、長期にわたって放射能の健康被害を受け続けることはすでにチェルノブイリと福島で実験済みである。「ひと」が基本になっていない大きなもののひとつだ。

 日本国憲法は、この社会の基本は「ひと」であるという法を実現しようとしているものである。しかし安倍政権は「ひと」でなく「国」(「グローバル企業」も)を基本にするものに変えようとしている。すでに教育・マスコミなどでなしくずしに始められている。そして戦争のできる国へと。

 わたしはとことん「ひと」が基本だと言い続ける。           

 

  (5月4日)